機械だって大事

必ずしもこんな破目にならなくても済む力法もある。

よい家を作るという仕事は、部屋を部屋として、機械類は機械類として扱えぽ、はるかにわかりやすくなる。

こうした区別をするには、"部屋"とか機械という言葉を普通とはやや異なった特殊な意味で使う必要がある。

機械とは、ある特定の仕事をする場合、私たちに手を貸してくれる家庭の設備の一部のことである。

この中に冷蔵庫、皿洗機、流し台、ストーブ、洗面台、浴槽、シャワー、化粧台、炉、その他が含まれるのは言うまでもない。

つぎに、それほどはっきりしてはいないが、私たちの機械類という特殊な呼び方に含まれるものに、便所、階段、造り付けのベンチ、ベッド、棚など、何か特定の行為をしようとするときに私たちが助けを求めていく固定したものが含まれるかもしれない。

以上で、注文住宅や家づくりの話は終わりにしようと思います。

ちょっと途中難しいこともありましたが、それでも何だか勉強になったような気がします。

機械と部屋

20世紀に入ってからも、ほとんどの住宅はいまだに部屋を組立てるだけの古いやり方でつくられ、そこに機械類が押し込まれるというだけのものにすぎない。

その結果、いったんは注意ぶかく作られた品位ある生活のための空間も、機械によって台無しにされてしまう。

機械を収容するために、祖先の建てた家のもつ明快で美しく釣合いのとれた部屋を(寒々とした廊下や便器だけならまだしも)私たちは捨ててしまった。

人間の生活に対するよりも、機械に対して気を配るようになったため、住宅は住むための場ではなく、設備を置くためのものになった。

その結果たるや、注文住宅は、部屋と部屋もどきのものと部屋とはいえないものが支障なく無秩序に混ぜ合わされたものになったので、不動産広告で持主の言うことといえば、浴室と厨房器具の数、暖房システムの熱源のことだけである。

部屋への愛着

伝統的な、分離しかつ明快な部屋という観念はまだまだ人に訴えるものをもっているのである。

以前には、大部分の機械は、たとえあったとしても持ち運びできるものであるか、あるいは調理用機械類のように、離れ家に遠ざけられていた。

したがって、私たちが昔からの建物に愛着を感じる場合でも、私たちはたいていいつも部屋に愛着を感じているのである。

そういったところが家づくりには大きな影響を与えていると思う。

部屋を並べて家をつくり、そうした家のもつ明快さに私たちは変らない愛着をもつのである。

ガンストン・ホールのようなジョージ王朝風の住宅のもつ優雅さを強調しているのは、美しい釣合いをもった4つの部屋が1階に配置され、その中央を通り抜けるホールがあるといった形式上の単純さにある。

この家はまったく部屋が配列されているだけで、厨房も浴室も便所さえもここには置かれず、空問の純粋性が汚されることはない。

ほとんどが旧式のまま

今日では、どこの郊外にも町にも、少くとも"モダン"な住宅は1つや2つはあるけれども、それが支配的とはいえず、むしろ例外にすぎない。

新築の住宅はほとんど"旧式"であって、漠然と"ウィリアムスバーグ風"か"フランスの田舎家風"に見えるし、そうでなければ、"ランチ・スタイル"であって、そこはかとなくライトの作風をさえ感じさせる。

実際多くの注文住宅はこれらすべてを一度に組合わせた奇妙なものである。

恐らくこうなった理由は、大部分の家族が、自分たちの家のイメージに、過去にあった実物、もしくは心に思い浮べた過去のものとのつながりを熱心に求めたせいであって、根なし草のような未来のヴィジョソに顔を向けなかったからである。

あるいはまた、近代建築運動が提起したような新しい住宅の建て方が、住宅の中のある部分はしぽしぼ分離されているべきであるとか、ある部分は個人専用でなけれぽならないといった事実を、時として無視しているためかもしれない。

モダンではない?

室内の空気を調整し循環させ、光をつくり、食物を調理・保存し、廃棄物を運び去り、別の機械で温めた湯で体を洗うわけだが、それで予算のかなりの額を使ってしまう。

20世紀に入ってから発達したオープン・プランの発展が示すものは、斬新な部屋の構成ではなくて、機械類をどのように収容するかという関心である。

ル・コルビュジエは、あの有名な「住宅は住むための機械である」という宣言によって、機械に没頭した同世代の立場を表現した。

近代建築運動のこうした立易に俗世間が反擁したのは不幸なことだった。

私たちが田舎や郊外をドライブしてみると、新築の注文住宅がすべて"モダン"なわけではないこと気づく。

これは不思議なことだが、その訳は建築史上、ジョージ王朝様式やフェデラル・スタイルの時代、あるいはグリーク・リバイバルの時代には、大小を問わずほとんどの住宅がジョージ王朝様式、フェデラル・スタイル、グリーク・リバイバルの観を呈したのだから。

家族のあり方によって

注文住宅は数匿代にわたって住むところではなく、ある家族が一生のうちの一時期を過し、また移ってゆくというものになってきた。

また、たとえば日々の食事といったある機能のために特別な部屋を1室設ける必要があるかどうかということさえ疑問に思われてきた。

家族が必要とし、経済的にも持ちうる部屋数は少くなり、種々の違った活動に使われねぽならなくなったので、各室の形と他の部屋とのかかわり方が新たに重要な問題になってきた。

部屋を分離することが、さほど重要ではなくなってきた理由は、もう1つセントラル・ヒーティングが暖房を容易にしたこともある。

19世紀の中頃以来、あらゆる種類の機械がつぎつぎと住宅の中に入って来て、今では、どんな住宅でも基本的な要素と見なされるに至っている。

生活の変化

壁が外部へ延長され、家の中を通り抜けて外に出ることさえできる単一の空間があるだけだ。

全体のデザインは抽蒙的で、純粋にグラフィック的である。

それでも、この構成は私たちの示した初期アメリカの住宅の5つの例と全くかけはなれているわけではない。

しかも、ここには近代建築理論を支配した設計方法が示されている。

では、何が家の並べ方に、このようなドラマティックな方法をもたらしたのだろう。

1つには、岐阜 注文住宅などの工業生産された小綺麗な素材によって、ものの見方が新しくなったということも、答えにはなる。

今世紀の初めの数十年間に、人々の家の中での生活が新しくなったということも理由の1つになる。

広大な邸毛を建てられる人はだんだんと少くなって来たし、使用人を使ってそんな家を維持することなど、ますます困難になり、ほとんど不可能になったといっていい。

住宅建築の革命

近代建築運動といわれるものは、ライトが刊行した著ス・ファン・デル・ローエ、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレーグリ(自ら、ル・コルビュジエと称した)らの人々によって1910年からの10年間に開始されたのである。

これらの先駆者たちは、住宅建築の方向を変えようという歴史上もっとも自覚的な革命運動とも言うべきものを指導した。

彼らは、過去の伝統ではなく、現在とさらに未来のイメージと手を結んだ。

そうする際に、彼らは部屋に関してライトが下した新たな定義をさらに1歩前進させた。

住宅のためのミース・ファソ・デル・ローエのプロジェクトは彼らの努力の極端な結論を示している。

この注文住宅はついに建たなかったが、こちらでは独立した壁によって、あちらは隣り合った壁によっていくつかのゾーンに分けられる。

ここには分離した部屋というものはない。

有機的建築

部屋の形は次第に不規則になり、大きなアーチや引き戸によって互いにつなげられることが多くなった。

それまでのどの建築家よりも、部屋というものの定義のし直しに力を尽したのはフランク・ロイド・ライトであった。

彼の言う有機的建築を、追求したすえに、20世紀はじめに、彼は部屋と部屋の間の堅固な障壁を取り払うことになってしまった。

その結果できた注文住宅は、基本的ユニットは依然として部屋ではあるが、少くとも共用の部分では、部屋は互いに微妙かつエレガントに溶け合い、いわゆる"オープン"プランとなった。

内部に対して、彼が部屋と部屋の閻の壁をとり除いたと同じく、外部に対しても、彼の言葉を使えば、かつての住宅がつねにそうであったような旧式のボックスをライトは「ぶちこわし」、部屋を左右に延長して、家全体の形がもはや閉鎖的でもコソパクトでもなく、大地に流れ出し、大地と切れて建っているのではなく、大地と渾然一体になるようにしたのである。

バランスが大事

全部が全部、この方式に従ったわけではないにせよ、多くの人がそれに従ったのは、大部分の人が必要としたものと、立地上の条件との間の適度なバランスをとることができたからである。

堅固なセンター、あるいは開放的なセソターを部屋で包み込むという単純な方法(例えぽケイプン邸や南西部の住宅)、廊下の両側に部屋を並べる方法(例えば、ガンストン・ホール)、1列に部屋を並べる方法(例えば、プリソグル邸)、あるいはヴェランダで部屋を囲む方法(例えば、ホームプレース・プランテーション)はすべて驚くほどの持続性を示している。

名古屋 注文住宅の部屋を組立てる6つの方法のうち4つまでが、以上の各地の例に見られる。

部屋は必ず分離し独立していなくてはならないという伝統も、各地とはいえぬまでも、ほとんど同じように続いている。

19世紀後半ころには、建築家の建てた住宅では、部屋を分離するという伝統からはなれて来るようになった。